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春は冬の次

年間通じて一番寒い時なのに 出雲は春爛漫である。コートはいらない。

これなら節分すぎれば TシャツでOKになりそう。一体 どうしたことだ?

昨年 出雲大社の大遷宮で 信じられない程の観光客が溢れ その人いきれの

余熱に違いない。 800万人を越えた熱気に 浮かれる地元の観光業者。

必ず冷ややかな数字に 変わるのは数年前の石見銀山ブームで見てきたはず。

同じ愚の繰り返しがないことを願う。


温かさにつられて オレも走る距離を延ばした。 ひょいと乗る自分の軽さに

呆れる。  寒い冬を耐えてこそ春の喜びがある。 余りにも恵まれた気象条件に

逆に気持ちが悪い。いやなことの前兆にならぬよう 冬気分でいなければ・・・・。 
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あんた  トコのひと?

NHKの新会長に就任した籾井氏が 記者会見で一部記者の執拗な質問に

切れたかのように 従軍慰安婦問題について、あくまで個人の意見として

述べた(と言うより述べさされた)。それを 待っていたかのように批判する

輩がいる。しかも要人である。 誰であってもあの場では 同じ答えが出るはずだ。 

日本人であれば・・・・・。  ここまで日本は侵されている!

朝 小学校の近くを通ると 子供たちが「アリラン」をハングル語で歌って

いるのが聞こえた。どこの国の学校か?  日本語が乱れると言う前に 都市に

溢れる案内板には 韓国 中国語のいかに多いことか。


戦前 ベルリン五輪で日の丸を着け マラソンで優勝した(孫基禎)が近年 韓国人として

表彰し直されたのは記憶に新しい。  彼の本音を聞いてみたい。

春の如き好天なのに 朝から気分が悪くなるニュースだ。

叶わぬときの神頼み

天候とカゼで1週間 練習を休んだ。 今朝は冷え込んだが好天である。

無風の中 いつものコースを走る。 心配するほどの落ち込みはなかったが

もともと (落ちしろ)なんてないに等しいのに 一人で喜んでる。

何度も書いたけど 今冬の出雲地方 全く風が吹かない。あの地鳴りの様な

音と共に北西風が吹きぬけた翌朝 一面の銀世界が当たり前だったのに・・・・。

節分荒れ という語がある。 その字の通り2月初旬は 大荒れが多い。

今年はその気配は感じられない。 天気がおかしいのか こちらがおかしいのか

判然としないけど 大雪の地方の方には申し訳ないが 冬もまた結構の余裕。

2月11日 昔の紀元節 くにびきマラソンがある。 もしも数年前の あの

地獄の寒さの中のレースになれば 今度は生きて帰れない気がする。 普段は

見向きもしない神様に こんな時だけ勝手なお願いをしてもだめだろうなあ。

灯り  いつまでも。

友に逢うのは 昨年夏の見舞い以来だ。 半年でまた小さくなった。

三歳年上の奥さんと二人で オレを迎えてくれた時、胸がいっぱいになった。

70年を越えるかけがえのない親友 こんなだらしないオレを見捨てなかった

唯一の友 何一つ返せなかったことを 初めて二人に詫びた。 自由の利く

右手だけ左右に振って 涙だけ流していた。 病の話は余り出ず故郷である

藤井寺のことだけで すっかり様変わりした故郷も その時でけは昔のままだ。
 
長話は身体によくない。あっと言う間の2時間 そこだけ別の世界があった。


明日は長居で大阪女子マラソンがある。普段であれば一泊して競技場に行くだろう。

最終のバスで つらさから逃れるように帰途につく。 

梅田の灯りが遠去かる・・・・・。さよなら  必ずまた来る。
 

コーヒー  そして友

朝 いつものようにコーヒーを飲む。 19歳以来 一日も欠かさずに飲んでいる。

学生時代 少し気取って喫茶店へ入ったのがきっかけで 思い返すと60年近くになる。

コーヒーの薀蓄(うんちく)は知らない。 ただこの香りに その日の朝を感じる。

胸躍らせて飲むときもあれば 不安に押しつぶされそうな中で 熱いコーヒーをため息と

共に飲み干すこともある。 そして何人の人たちと 何を語り合ったかを思い返す。

まさにオレの人生がそこにある。

 
この週末 友の見舞いで大阪に行くことにした。 いつ逢えなくなるか分からない年齢にお互いが

達している。 彼はコーヒーを飲まない いつもミックスジュースばかりを 照れながら

ストロー少し折り曲げて飲んでいる。 もう二人で喫茶店に行くことは出来なくなった。

それでも 「夢追ってたグラウンド見に行こ 帰りに喫茶店へ寄ろ」 昔のまま呼びかける。

きっと「うん」と言う筈だ。  週末の空 晴れていてくれ。

病は 気から?

何年ぶりかで カゼをひいた。 前日の駅伝のあと中継点でタスキを渡して

知り合い数人と ユニフォームのまま長話をしすぎた。 大クシャミが出て

しまったと 思ったが遅かった。 年寄りは話し出すと長い。 鼻水たらしながら

近くの医院へ。このドクターはその名も高き(ミスターやぶ)さんである。

ちょいと聴診器を当ててはい終わり。 何のアドバイスもなく ん十年前と同じ

粉薬の紙袋とポリ製のシロップを貰う。 来院している人たちも同じ薬を持って

ぞろぞろ帰って行く。(みんな病名も薬の処方も均一)みたいに見える。

案の定 いまいち回復はしない。

それでも患者は結構来る。 その(やぶ氏)大変、人当たりがいいし憎めない。

高齢患者が多いので 人生に余り未練はない「このセンセなら殺されてもいい」と

達観した患者たちが集う。このほのぼのした待合室の雰囲気はどうだ。

医師と患者  心が繋がると 病は克服出来る。

わかっとんか・・・あーん。

都道府県対抗男子駅伝 いかに選手層が薄いとはいえ島根は45位だ。もういいと

言いたくもなる。 首脳陣のコメント 言い訳は十年一日の如しだ。今回は「悔しさを

味わえたのが収穫 その収穫が生かせるかどうか」だと・・・・・・。情けないものだ。

出場をさせるのは、40チームにして41位以下は5年の参加辞退くらいの、厳しい

規制があってもいいような気がする。 緊張感の感じられない県体協 顔が幅きかす現場。

結果が当然のごとくこれ。 応援する気もなくなる。いろんなハンデを持ちながら、頂上に

登りつめた例は枚挙に暇がない. それと指導者として首を傾げたくなるのが 開星高校の

野球部前監督 野々村正道組長がある。 あの着流し 角刈 サングラスは何なのか?

著書もあり講演も多いと聞く。  たまたま彼をみた県外の友人が「島根て何やねん」と

言はれ返答に困ったことがある。 なんでもあり やったもの勝ちの風潮がはびこり それを

よしとし 受け入れる島根。 「何でやろ」とこちらが聞きたい。

いろいろ ありますなあ

元 所属していたランニングクラブ主催の 女子駅伝が毎年この頃に

開催される。 しばらくの間失礼していたが 昨夕電話で参加の要請が

あった。 準備の手伝いと思い承諾したら、なんと欠員のため走るらしい。

オレ おかまになるのかと一瞬たじろいだが、男女混合チームとのことらしい。


曇り空だが雪はない。 少しの風が肌を刺す。 今冬一番の寒さだが若い女性の

中では平気な顔で突っ張ってみる。6人に抜かれたが一人だけオヤジがいたのは

腹がたつ。 女子アスリートはみんな美しく見える。反面 必死の形相のおっさんは

この世も終わりかと思うすさまじさだ。

今年79歳を迎えるが 三欲は健在だ。 頂上はまだ遠いなあ・・・・・。

昭和への決別

小野田寛郎氏が91歳で死去された。 日本の敗戦を知らずにルバング島の

ジャングルで30年間生き延びた人である。 帰国時 よれよれの軍服姿で

直立不動の敬礼を見て(中野学校)出身の真実を思ったものだ。 その前に

帰還した「恥ずかしながら・・・。」の横井庄一さんとの格差に驚く。

最後の日本兵の死 野球の川上 相撲の双葉山 ボクシングの白井義男等々

昭和は消えてゆく。 さらに遠くなる。

十九年目の日

19年前 まさにこの日阪神大震災が発生した。  オレは近所の友と

インドネシア旅行の前泊のため 高速バスで出雲から大阪に行く予定だった。

強烈な揺れに目覚めて リビングに行くと帰国中の娘がテレビを見て 大阪が

燃えていると言う。あちこちに電話。ツーリストは明朝 予定どうり出発とのこと。

今日中に関空近くに行かねばならない。航空機は満席 新幹線は岡山でストップ

バスも当然不通  結局 伯備線で岡山 岡山から高松経由で徳島へ さらに船で

関空へと向かう。 泉佐野のビジネスホテルに前泊し 何か後ろめたい気持ちで

ジャカルタへと飛んだ。 参加した人たちも盛り上がりの少ないツアーだった。

8日後 帰国便の中で日本の新聞を見た。 ほぼ何面にも被災した人々を気遣う

文字が溢れている。「小さい家ですが 3人くらいなら大丈夫です 遠慮なしにどうぞ」

「なにか 私たちにさせて下さい どんな事でも家族でやります」こんな文が並んでる。

不覚にもオレは涙で 文字が追えなくなった。 他の参加者も同じだ。 日本人の心に

あるのは このような(善)なのだと改めて思い知らされた。

早朝の関空の冷たい風も この温かい日本の地を踏めることの感謝で溢れていた。

あれから19年過ぎた・・・・・。 時の流れは酷いと感じるオレ。(どうしたのだ)と

問いかける自分に 慄然とする。

育てる 苦難の道。

日本短距離界で100メートル初の9秒台が期待される 桐生祥秀選手が東洋大学に

進学する。 そこで彼の専任コーチに 出雲市出身の元五輪選手土江寛裕氏が就く。

何を基準に選定されたのか不明である。 同じ出雲なので喜ばしい事なのかも知れないが

この種の人事に 付きまとう不透明感はどうしたことか?  何十年に一人の逸材。

(彼は素直な性格で 自分を慕ってくれている)と土江氏は言う。 桐生選手が一躍注目を

浴びたのは昨年である。それからの わずかの間にそれほどのコミュニケーションが 取れる

だろうか。  土江氏が政治的にどのルートなのか どれほどの指導力を持つのか知らないが 

要は結果である。  出雲は土江 名コーチの誕生を願っている。

いよう・・・・・  ときめき!

森喜朗元首相が 東京五輪開催準備を統括する 組織委員会長の

就任を受諾した。 またかの感。 五輪利権仕分けの元締めだ。

いつまでも永田町を 離れないのも当然。もと柔道かラガーマンだった

らしいが その存在すらイヤらしい。

 
氷雨らしきものが降り やや冬の佇まい。 でも矢張り出雲じゃない。

風が吹かない。 首を竦める仕草が少なくなった。 有難いことである。

春を待ち兼ねる 老いし者たちには毎日が得した思いである。

今年の初レース くにびきマラソンまで一ヶ月 また あの(ときめき)が

帰ってくる。

カミ頼み

年が明けて一度だけ積雪をみたが、依然として寒くない出雲路である。

とっくの昔 神に見放され、神を見捨てたオレ。神仏に縁なき衆生だ。

初詣に行ったのは もう思い出せないくらい前になる。


淡路恵子も亡くなった。 金持ちかどうかは」不明だが(ビンボー ダナオ)と

いうフィりピン人歌手と結婚 さらに中村錦之助と再婚 離婚  バーのママを

したり苦難の人生だった。 最近テレビでみて余りのやつれかたに 驚いた。

同じ世代が恐ろしい勢いで 消えて行く。 昭和生まれの消え去った時 日本は

どんな状況に置かれているだろうか? 神も髪もなきオレには 祈るものさえない。  

おかまに 光を・・・・・・。

3日間 雨のあと今朝の出雲は雪景色。 従って都合4日走ってない。

午前10時 陽が射してきた。 久しぶりの光と影 明るい太陽の対比に

必ず濃い影がある。 陰陽の定理であろう。


都知事候補に細川元総理の名。 この人 村山富一氏と同じ政治の微妙な

弾みの拍子に転がり出た首相。 日本に空しい政治空白を作っただけだった。

他に升添 鳥越 宇都宮 田母神の各氏。 うんざりする顔ぶれ。 この国の

人材不足は深刻だ。

こうなれば 矢張り推すのはドクター中松氏しかないようだ。


以前 大阪時代の選挙で 腰を抜かすほど驚いた候補がいた。 その名も

(おかまのけん)こと東郷健さんである。 現在のように誰もが 出馬する

雰囲気のない中で敢然と 打って出た。 「おかまに 光を・・・・・・」と

選挙カーの上で 身体をくねらせ訴えていた。

妙な言い方だが オレ感動した。 がんばれと本気で思った。 政治とは別の

次元だった。   天界の彼(彼女か?) 今の日本どう見てるか聞いてみたい。

走って なんぼのもんじゃい?

昨日 見事に失敗して大恥かいた郵便局のATM 朝一で再挑戦。

心静かに操作してOK. 今年 初レースが(出雲くにびきマラソン)に決定。

極寒の中のレースとなる。 息子も参加する。こちらは10キロで上位入賞を

目指す。 俺は5キロ60歳以上にエントリー。後期高齢者の雄たらんと欲す。


やしきたかじん の訃報あり。 彼が頭角を現したのは俺が 大阪を逃げ出してから。

従ってあまり親近感は覚えないが 同じ関西人としての意識は持っていた でも何となく

浪速のイヤらしさばかり 目についた。 彼もひょっとして・・・・・・?

(我が道を行く)的な人生は羨ましかった。 合掌

                               

こらあかんわ

今年の天候は一体どうしたことだ。 出雲路にははや早春の気配。

40年以上住んでいても こんなのは初めてだ。 何か天変地異の

前兆ではないかと心配したくなる。 


都知事選に升添要一氏が 予想どうり出馬するらしい。

他の候補を見ても失礼ながら 番茶の出がらし感は否めない。

この島根県も 僕ちゃんの如き知事で安定しきっている。 全くの

新鮮味も緊張感もない行政の中で 人々が老いてゆく。

地方に活力 県民に生きがいなどの言葉も 空しく響くのみ。

景気付けに 来月の(くにびきマラソン)で一発狙ってやろうと

郵便局へ申し込みに行き キャッシュコーナーに立ち向かう。

案の定 何回やっても同じ画面ばかり。 後に並んでる人の舌打ちが

聞こえそうで通帳だけ 引き抜いてフンと立ち去る。 ご丁寧におっさんが

声かけてくる。「ちょっとあんた 用紙忘れちょうよ」 親切かバカにしたのか

判断しかねるような言い方。 出雲弁にむかつく。他の人の冷たい視線を背に 

明日窓口で払おうと局を出る。 これでは本番が思いやられる。

  

これは なんだ?

謹賀新年  今年は いい年になりますように・・・・・・。

年明け早々に運転免許の更新がある。後期高齢者には余計な手続きが必要だ。

認知症のテストを受けねば 更新申請が出来ない。講習費用は6千円ふんだ

くられる。 前回はチャレンジコースに挑戦した。身体機能の衰えが少ないと

思われる方はどうぞと出てた。受講時間は短いし 費用も2750円ですむ。

近くの自動車学校に申し込む。 ?? 窓口が何か様子が違う。 何人いるのかを

問うと 俺ひとり。過去にも受けたのは一人だけとの事。

予備知識もなく 当日早めに出かけた。 よそよそしい応対ですこし待つように

言われ 待合室で時間をつぶす。 後から来た通常コースの人たちは どんどん

入室して講習が始まる。 一時間くらいのところで まだなのか聞くと ただ待て

だけの指示。儲けのない者にはつめたいなと ひがみ根性が顔を出す。

3時間以上待つ。 通常コースは終了して俺一人取り残されたままだ。

教官が一人やってきて開始となる。 説明のあと いきなりその日の 年月日 曜日

時間を聞かれた。 年度替りすぐの事とて西暦が「えーっと」となる。 個室で

教官との対決に微妙な緊張感。 すこし時間が立つ 余計に焦る。 飛ばして次に

8枚のパネルの絵を覚えろとのこと。これはそつなくこなせたはず。 しかしそこで

ストップ。 実地まで行かずに あえなく失格となる。 基準がどうなのか知らぬが

不完全燃焼 やるかたなき憤懣かかえて その場で通常コースの申し込みをする。

あとは予測通りに 丁重な出迎えで受講。 学科テストはバカでもできる。さらに実地では

この人は大丈夫かと 同乗者と肝を冷やす運転者もいる。それでも全員合格。(おめでと)

交通安全協会への入会勧誘といい 趣旨は理解できてもなんともはや 落ち着かぬ。

この調子では近いうちに ロードを走る高齢者ランナーは 免許制になるのではないか?


もう一度チャレンジコースにするか 悩みは尽きない。
プロフィール

FC2USER351731WCE

Author:FC2USER351731WCE
ランニングを始めて23年目
少年の頃からやっていた野球も軟式のスピードにもヨタヨタして追いつけず55才で引退
何かお金のかからない遊びは?
あったぞー。
靴一足で一年いけるランニング。ではそろそろと。

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